何故生きているのだろうか。そもそも生きていたいのだろうか。少なくとも死にたいとか、生きたいとか、恒常的に考えることは、自分にはない。体は常に生きるベクトルに動く。食べ、眠り、生活費を稼ぐために頭を働かして日々を終える。なんなのだろう。「なぜ生きているのか」という問いに対して、「体が生きるベクトルに動いているから」では不十分な気がする。それなら、次のように自分は考える。人間は欲望の充足の為に生きている。食欲・睡眠欲・性欲などなど・・・。そしてそこに「生きる意志」など存在しない。「生きる意志」つまり「生きたいという感情」は、感情が感情である故に、恒常的に抱く類のものではない。状況によって「生きたい」「死にたい」可変的であってしかるべきものだろう。「なぜ生きているのか」という問いに対して、自分はとりあえず、次のような結論に至る。「人間は欲望の充足のために生きている。しかしこれはあくまでも人間がそのように設計されているという、本能・欲望の定義のひとつでしかない。かたや問いが『なぜ生きたいのか』となると、それにはこう答えることしかできない。『いつも生きたいとは思っていない。死にたいと思うほどの要素が、現段階では集結していないというだけのことだ。いつも生きていたいとは思っていない。そしてその日々可変的な感情は、大抵の場合、体が生きるベクトルに動いているという事実に負け、生存を続行する』」